2005-06-23 16:31:48

オキナワ [ こう考える ]

母方の祖父は私が中学3年の時に亡くなったが、どうしても彼が話しているのを思い出せない。それ位物静かな人だった。和菓子職人になろうとした時期があったらしいし、家では麺なども打っていたという、器用な人だったらしい。体の弱い祖母をかばうように寄り添っていた。祖母は祖母で、祖父のために毎日好物の刺身を、時にはこれまた好物の豚足を、弱い体を押して買いに出かけていた。母等四人姉妹にとってその刺身は夕食時の羨望の的だった。偶に祖父がくれるのが何よりの楽しみだったという。母が無類の刺身好きで、我が家の食卓にはほぼ毎晩刺身がのるのは、そうした事情があるらしい。

その祖父が、戦争中沖縄に行っていたと知ったのは、彼の死後何年もたってからだった。
祖父は背が低く、乙種合格だったため、戦闘には参加しなかったらしい。孫が話すのを覚えてないのはともかく、母たちですら殆ど話を聞いたことがないというから詳細はわからない。後方部隊にいたとか、武器工場にいたとか、彼女等の記憶もあやふやである。
ただ沖縄に行っていたことだけは間違いないらしい。時折豚足を食べたのはそのときに覚えたから(これも「らしい」だけど)。
もう少し長生きしてくれたら、話を聞いてみたかった。

彼と一緒にいた年月の倍の年月を経て訪れた沖縄では、友人が、守礼の門は勿論、あちこち観光名所に連れて行ってくれたし、綺麗な海、美味しい沖縄料理、そして勿論老酒も堪能させてくれた。だけど彼女は、「象の檻」や太田中将等が自決した旧海軍指令壕にもちゃんと連れて行ってくれて、沖縄の歴史をきちんと語ってくれた。きちんと地元の歴史を、現実を語る彼女を素晴らしいと思った。

祖父が沖縄のどこにいたのか、何を見たのか、今となってはわからないけど、友人の説明を聞きながら、彼が見たかもしれない景色を、いつも黙って居間に座っている姿を思い浮かべながら見ていた。

今日は沖縄慰霊の日。戦争で亡くなられた人たちのために合掌。

ところでワタシは、母四姉妹が誰も受け継がなかったけど、無類の豚足好きである。喋る祖父は覚えていないし、祖父の食卓に刺身があったことも覚えていないけど、豚足があったことはなぜか覚えているのである。勿論ミミガーも大好物である。

[追記]
私のお気に入りのCD。

B00005LL6Qさとうきび畑
新垣勉 ジョルダーニ ヘンデル マロット


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沖縄生まれのテノール歌手、新垣勉さんのCD。「さとうきび畑」は森山良子版が有名だけど、新垣さん版もお薦め。「知らないはずの父の手に 抱かれた夢を見た」という箇所は、ご本人が実際に米兵だった父親を知らないという背景もあるのか、胸が打たれます。
視覚障碍や家庭の事情の複雑さなど、いろんなものを背負ってらっしゃるであろう方ですが、歌はどこかあっけらかんとしたような爽やかさを感じるから不思議。ラテン系とでも言うのか。沖縄のてぃーだ(太陽)の明るさなのか。

Posted by M at 2005-06-23 16:31:48 | コメント(2) | Trackback(0)